全ての基本は健康な心と体

母の死、仕事上の重大な選択・・
人は色々なストレスや悩みを大なり小なり持っていますが、2010年の5月は本当に色々なプレッシャーが私を襲いました。
正直、心も体も健康には自信があった方なのですが久しぶりに体の色々な箇所に異変を感じました。
風邪や腹痛、頭痛の類ならいつも放置しておくのですが、流石にちょっと違う感じがあった為、体の検査を徹底的に実施する事にしました。
仕事は勿論、何事もベストな決断をするには心も体も健康にかぎります。
小心者で心配性の私は大の病院嫌いですので、とても気分は冴えませんでしたが予防と早期発見の重要性を感じ色々な検査を受けました。基本的な検査以外を受けるのは何十年ぶりかです。
先ずは胃内視鏡検査。
今は鼻から小さい胃カメラを通して頂くものがありますが、カメラの倍率を優先するとやはり口から通すほうが良いと説明を受けました。知人から聞いた情報やネット情報などで最終的に病院選びをしました。母を胃癌で亡くしているだけに相当ビビリながらの検診でした。検査自体よりもあくまでも検査結果が気になるから・・前日から食事制限を行いながら検査を受けたのですが予想通り”オエオエ状態”でした(食事中の方には大変失礼します)検査自体は15分ほどでしょうか・・検査結果が直ぐに判る点は大変ありがたいです。ピロリ菌も無く結果は良好でした。
翌週に同病院で大腸内視鏡検査。
こちらはご存知のように肛門からカメラを入れて大腸の状態を確認するものです。事前情報によるとこれも医師によって上手い下手や個人差があるようで、痛いとホントに痛いらしいとの事。前日から食事制限をして当日は朝の5時に起きて下剤を2リットル呑んでから挑みました。この検査も胃内視鏡同様に検査自体よりも結果がかなり心配です。若干の痛みはあったものの苦痛で顔をゆがめるほどでは無かったです。細長のポリーブが一個あり病理検査の結果待ちです。
総合病院で血液検査、便検査、尿検査、全身のエコーなどの一般検査を受けました。
検査の結果待ちです。
そして先日は癌の総合検診PET検査を受けました。
家庭用テレビが流行っておりますが、三次元で自分の体に腫瘍が無いかをチェックする検査です。ブドウ糖を体に入れて着色によって有無を確認します。かなり小さい腫瘍は見つからないとの事ですが、信憑性はかなり高いと聞きました。同県では四日市と松阪に比較的受診しやすい病院があります。待合室、看護士の方の対応共に素晴らしいです。これが病院?と思うほどです。ただ、保険はききませんのでかなり高額です。私は歯のインプラント用に貯めていたヘソクリをあてました(爆)検査自体は20分程度ですが、安静時間などを入れると2時間にも及びます。検査後の問診では特に異常は見当たりませんでしたが後日、詳細な検査結果が送られるとの事です。CT検査では内臓脂肪や皮下脂肪などのデータもあわせて見れますので食事改良の良い切欠にもなると思いました。
PET検査の待合場にフリーで書けるノートが目に止まりました。待ち時間の間に少し読んだのですが、とてもショックと心が痛い思いがしました。PET検査を受ける方の中には実際に癌を発病し戦っている方も沢山いらっしゃる事。不安な様子を赤裸々に綴っていられる方。病気と戦う覚悟を決めた勇気ある言葉。病院の施設や対応に誹謗中傷。この検査でもっとも深く学ばせて頂いたノートでした。
その日の午前中に脳ドックを受けました。
脳のMRIは初めて受けたのですが、きつく固定される事とあの騒音、窮屈感は苦痛でした。20分程でしたので何とか我慢できましたが、後10分長いとかなりまいると思います。
長男が小さい頃に一度MRIを受診しております。正直、その時の光景を思い出す事ができませんが麻酔を使い検査したとの事です。検査を受ける前に長男の自閉症に関する告知を受けていたので恐らく気持ちが動揺していたのだと思います。今でも長男の病気が判った年の事を鮮明に思い出す事はできません。話がそれましたが、脳の病気も年齢に関係なく身近で実例を聞きますので頭が痛いとかフラフラするとか自覚症状が出る前に検査をしっかりする事が大切だと本当に思います。
ここ数週間で色々と検査をしました。全ての検査結果がでるまでは不安な気持ちもありますが、何よりも母の病死から大きく学んだ事の一つに健康である事があります。健康な心と体をつくるのも自分次第という事。
先日、医師の日野原重明様の本を読みました。その中の一文を紹介します。
鳥は飛び方を変える事はできない。
動物は、這い方、走り方を変える事はできない。
しかし、人間は生き方を変える事ができる。
繰り返す毎日の行動を変える事により、新しい習慣形成により、新しい習慣の選択を人間は決意できる。
人間には選択の自由がある。
そして、意思と努力により、新しい自己を形成する事ができる。
それは人間と動物とを根本的に区別するものといえよう。
と記されておりました。とても大切な事を教えていただきました。
私は口にする物を色々と見直し始めました。決して肉や魚を食べず、徹底した食事制限をする気はありません。食べる量と時間、食材の効能を知って食べる、そして適度な運動。こんなお手軽な事を少し守って病気の予防と早期発見をして健康でありたいと思います。
そう、病院で母が私に言い残した言葉がありました。病室では窓辺のベットだったのですが名古屋空港に向かう飛行機を見つめ「ここを退院したらケン(私の長男の名前)と成田へ行く約束したんやわ・・一緒に飛行機乗って旅行いこって・・」何気ないどこにでもある風景が病を患った母には特別に見えたのでしょう。
人は健康という物凄く尊いモノを時に忘れる愚かな生き物です。
意思と努力と感謝でこれからも長生きさせて頂ければと思います。
現在43歳。長女の孫を抱くまでは・・(笑)

愛が深ければ深いほど悲しみも深い

私の母は 2010年5月14日 午後2時35分 愛知県のがんセンターにて胃癌のため亡くなりました。
享年69歳でした。
4月末に父から電話があり、母の病状のことを始めて聞きました。
一昨年に大動脈瘤のステンド治療をしたのですが、手術も無事終了していたので母の健康状態に関して全く安心しておりました。
直ぐに治療をお願いしたのですがゴールデンウィークと重なり入院は5月の連休が明けてからとの事。
2010年5月10日に入院した、その日に検査結果の状態が芳しくない事を父と妹から聞きました。
翌、2010年5月11日に急いで病院に向かい主治医の方に自分から状況を聞きました。
「昨日の段階では抗がん剤治療を考えたのですが、がんの進行がとても早く、お母様の体力が著しく弱っているので抗ガン剤治療をやめます。お伝えし難いですがホスピスに移ることをすすめます」
主治医の先生と話をした会議室から母の寝ている病室に向かうまでの心の重さは今でも忘れません。
一生忘れられない辛い告知でした。
数分廊下で呼吸を整え、母には体力をつけてから抗がん剤治療を行うことを告げ、手紙とお守りとお花を渡して帰路につきました。
四谷インターから四日市インターまでどういう風に帰ったかは記憶にありません。
その夜、父と妹の3人で話しあいました。私は人目を気にせず、レストランの席で涙しました。
・母には3ヶ月から半年と言われた余命は伝えない。
・緩和ケアの病院を早急にあたる。
・限られた時間で何がやってやれるか各々考える。
そんな話をレストランが閉店するまで話しました。
翌、2010年5月12日に地元の緩和治療を優先したホスピスの見学に妻と二人で向かいました。
ソーシャルワーカーの方も優しく、暖かい方でとても親切にご案内いただきました。
その夜、電話で家族と病院を移動させるかどうかの議論をしました。
・移動させるという事は余命を悟られるという心配。
・動脈瘤に万一のことがあった場合、愛知県だと界隈に専門医が多いから安心。
・逆に余命を知って限りある時間を悔いなく生きて欲しいと願う気持ちとの葛藤。
いつも陽気な母でしたが、病状の話を聞くときは耳を塞ぐ仕草をしていました。そんな母が意気消沈する事が一番体に負担がかかるという判断で病院を移さず、余命を伝えない事を家族で決断しました。
2010年5月13日、色々な打ち合わせを先延ばしにしていたので、この日は朝から打ち合わせと商談を激しくこなしました。その夜、妹と電話で母の病状を聞くと「体力つけて抗がん剤治療がんばる!」といって食事も進んだとの事。しかし、腹水のせいか息苦しさはあったようです。
2010年5月14日、最愛の母と別れの日が突然やってきました。
この日、私はとても目覚めが悪かった事を覚えています。お昼を過ぎた頃でしょうか、妹からの電話が入りました。嫌な予感が的中。電話の向こうで母が吐血をして苦しんでいる事を聞きました。
実家に戻り、妻を迎えに行き慌しく支度をしている頃、妻の携帯がなりました。
「お母さんは最後まで本当にがんばったよ・・兄ちゃん」
激しく泣く妹の一報を聞き、妻とその場で愕然としました。
2010年5月14日15時頃に無言の母と対面しました。
涙が止まりませんでした。
母の暖かい頬、悴んだ手、そして安らぎの笑顔。
普段気丈な妻もこの時は号泣し、母に向かって色々な事を話していました。
一時間程悲しみに暮れたでしょうか・・
親戚の方が駆けつけて頂き早速葬儀の話が始まりました。
ここからはある意味鮮明に覚えています。どこかにスイッチが入って早く母を家まで連れて帰りたい思いの一心でした。
病院の地下のフロアで焼香をすまし、救命にあたって頂いた先生や看護婦の方から暖かい言葉を頂きました。本当にこの時はありがたく感じました。
特殊車両で自宅に着くと、早速通夜と葬儀の打ち合わせが始まりました。この件はまた時間があれば書こうと思いますが、普段、決断業務に慣れている私にとっては以外に簡単で冷静に事を運べたと思います。中々難しいですが日頃からの準備をおすすめします。
その夜、私は母の隣で寝ました。線香を消してはいけないと思い、数時間ごとに目を覚ましましたが気付くと父親も隣で寝ていました。
私の父も自営業で小さな会社の代表をやっておりますので、その日も仕事で病院には駆けつける事ができませんでした。私の前ではあまり涙を見せませんでした、葬儀の時は泣き崩れておりました。
2010年5月15日に御通夜
2010年5月16日に葬儀となりました。
両日共に大勢の方に駆けつけて頂き本当に感謝しています。喪主として至らない事も沢山ありましたが多くの方に支えられて母をあの世へおくることができました。
こうやって母の事を思いだし、書いている時も胸が苦しくなります。
全ては時間が解決してくれることなのですが、単に時間が過ぎて母を忘れる事はしたくないのです。
私は母を本当に愛していました。一年に数回しか感謝の気持ちを伝える事ができませんでしたが精一杯伝えました。
人は人を愛すれば愛すほど別れの時は悲しみが深い事を改めて思い知りました。
私はこれから母の死を噛み締めながら、母との間で果せなかった事や親子だからこそ素直に聞けなかった事を今日から正していこうと決意しました。
足早に駆け抜けた母の人生は本当に私に素敵な物を残してくれました。
最後の最後に火葬場での母への言葉は父も、妹も、妻も、私も、子供達も、
”ありがとう”の一言でした。
その夜、月の上に光り輝いた金星を愛した母を重ねて家族で偲びました。

この世の人生は有限です。
どれだけ生きたかも大切ですが、どのように生きるかはもっと大切だと思います。
今日も愛と命に感謝して精一杯頑張ろうと思います。



多謝

憶えておきたい事と伝えておきたい事

株式会社たまやの代表取締役として、5人家族の父として、現43歳の男として日々の出来事を綴ります。
経営者としての心境、家族へのメッセージ、自分自身が歩いた軌跡を主なテーマとして書きます。
少々暗い話、小難しい話題、噴出すような内容もあるかと思いますがどうぞご了承ください。
タイトルは”憶えておきたい事と伝えておきたい事”です。
何だかテーマが抽象的ですがモデラートのブログとは違う思いで書いて行きたいと思います。
どうぞ宜しくお願いします。