HOCKEY GAME

対戦方ゲームで最も熱くなるのはストリートファイターの次はコイツ✊✌️✋

考えた人はまさにゲーム機の天才。ルーピックキューブ、黒ひげ危機一発、オセロゲームに匹敵する🧐

昭和のゲーム機や自動販売機がartisticな外国人の方に人気のようで昭和生まれ昭和育ちの世代とって正直嬉しい。しかし、次世代が主役となる時代を求めている会社として本意でないが暫くこのトレンド(昭和日本)は続くだろう。

ゲームはシンプルなルールが一番で勝ち負けがはっきりする方が痛快で良い・・ただ人生はそうでない方がきっと良い。失敗も成功も白か黒かコインの裏表。

得た人、勝ったと言われる人が分かち合うことを考えることが世界平和に近づくと切に信じている。

訃報

三宅一生氏が天国に召された。享年84歳。高田賢三氏、山本寛斎氏、そして一生氏は昭和80年代初頭からのD Cブームを牽引したデザイナーの重鎮。

そのお三方がもうこの世に居ないと思うとこれまでアパレルの世界で生きてきた自分としては時代の区切りを感じる。20代の頃、初めて買ったDCブランドは確かフィッチェラッツア(デザイナーは三重出身のドン小西氏)のTシャツ(当時6000円)高っ💦

鬼籍に入った父は晩年ハウスクリーニングや司会の仕事をさせていただいていたが、創業から暫くは紳士服と学生服販売を生業としていた。そして次男は80年のDCブランドブームを作ったと言われる東京の丸井グループで今、大変お世話になっている。

半世紀以上生きてきた自分にとって洋服文化に携わることは運命であり人生そのもの。この先、死ぬまで洋服文化に携わることができるのかそれとも事業形態を変化させる必要があるのか・・この激動の時代に仮説を立てることは非常に困難であるが自身の感性と消費側目線のバランスをいつも心がけたい。

ルシーの花器に興味を抱いたのは紛れもなくコレクターの一生氏の影響からだ。

合唱

遺品整理

時間を見つけ少しづつ父の遺品を片付けている。モノクロの記念写真などが目に入るとツイツイ片づけの手が止まり、在りし日の思い出が蘇る。

父は日頃から几帳面な性格だったので物は比較的整っている方だが、衣類や家電などの生活用品、寝具、趣味のゴルフ道具などなど整理するとなるとそれなりのボリュームになる。

自分自身に置き換えるとかなりモノが多いことを自覚する。特に洋服や書籍の類は多い😓

人生の折り返しを過ぎているので徐々に物を減らすことを意識していきたい。

思い出の地

所用があって実家へ。すると景色が全く変わっていて驚いた。そこにあった筈の市営住宅群がなくなり空き地となっていた。

幼少の頃、この広場で遊んだ思い出が蘇る。

少子化、建物の老朽化、ライフスタイルの変化などこれから益々空き家や空き地が増えることになるだろう。

子供たちが巣立ち、健康体であれば後5年で還暦をむかえることになる。どこで誰とどんな生活をするかライフプランを今一度考えておくことが大切であることを感じた。

閉館

昨日、令和元年9月29日を持って中央緑地体育館が閉館した。

耐震補強もされ、まだまだ総合体育館として活躍しそうに感じるが51年間で幕を下ろした。自分と1歳違いなので何だかとても寂しい。

高校から社会人のあいだバドミントン競技でお世話になった。トレーニング室では基礎体力をつけるため月に何度か訪れた。

昨日も最終日とあって名残惜しさを感じ訪問した。

沢山の思い出をありがとう中央緑地体育館😉

当月も本ブログをお読みいただき誠にありがとうございました。又、今週半ばにも台風が西日本付近にやってきそうな予報ですがどうぞ皆様くれぐれも天災にはご注意頂き防災準備を進めてください。次月もどうぞ宜しくお願い致します🍁

真剣勝負

中学生の息子とテニスの試合を真剣勝負した。

結果は私の惨敗(^_^;)であったが、初心者の割には健闘したと自分を慰めている(^O^)
もともとバドミントンを社会人になってからも続けていたので、ラケット物のスポーツはある程度からだが反応できると思っていたが、50代を目前にした年齢と10代の体力は歴然だった。
それにしても、プロの映像が容易に入手できるとあってか、パッシングショットの打ち方などはジョコビッチ選手のモノマネかと思ってしまう・・(^O^)
次男にとって、テニスのクラブ活動が今最も楽しいようだが、もう少し探究心を学業にも向けて欲しいと思うのだが・・やっぱい蛙の子は蛙か・・(^0^))
経営者をやっていると子供とのコミュニケーションをとる時間を後回しにしがちだが、今夏は子供との素敵な思い出ができたように思う。

懐かしのお菓子

先日、スーパーで買い物をしていると、昔よく食べたお菓子に目がとまった。
早速、大人買いしてみた。

左から1971年に発売されたとする明治製菓のチェルシー。二番目はお馴染みのセイカ食品のボンタンアメ、こちらは大正15年に製造販売されたとのこと。三番目のチョコベビーは幼少の頃、アポロやマーブルチョコレートと並びチョコレート菓子の定番であった。右端のハイソフトキャラメルは一つ食べるととまらないもので、12粒を一気に食べてしまうほど美味しかった(今も)
この手の昔食べたお菓子を頬張りながら、70年代、80年代の書物を読んだり、音楽を聞くのが最近とても心地よい。
音楽はイエローマジックオーケストラの”BGM”がおはこである。

思い出

先日、仕事で万博記念公園の近くへ行った。
 
遠目からみた太陽の塔は今見ても芸術館溢れたオブジェだと感じる。
1970年に大阪万博は開催されたが、当時私は3歳だった。記憶は殆どないが、昔の写真が多数保管されていて、その盛況ぶりが伺える。因みにオーストラリア記念館はここ四日市に移築されている。
どうも最近、70年代や80年代の映画や洋服に興味が沸く。これが年を重ねるという事なのだろうか。

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